四季を通して『くつろぎ日和』~伊東遊季亭の過ごし方一例~

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くつろぎ便り

伊東遊季亭のイベント情報、新しい情報、周辺の情報、四季折々の様子をお伝えします。

★伊東市観光PR動画公開★

皆様こんにちは、伊東遊季亭です。

伊東温泉を紹介する動画が公開されましたのでご紹介します♪



「がんばれ伊東ちゃん」

観光課の職員役として、やるせなすの石井さんが出演しています。



伊東囃子保存会のみなさん他、伊東の魅力を紹介しています。

伊東温泉へお越しの際、ご参考になれば幸いです!

是非ご覧くださいませ。

伊東遊季亭

旅色に紹介されました

 

自転車の国「サイクルスポーツセンター」

こんにちは、フロント市川です。

今回は、東京五輪自転車競技の会場にも選ばれた、伊豆市のサイクルスポーツセンターをご紹介します!

 

こちらでは、自転車競技の為の様々なコースを、有料で一般開放しています。

現地では、自転車やヘルメットのレンタルができ、スタッフの方が自転車やコースのことを親切に説明してくれるため、

どなたでもお気軽にお楽しみいただけます。

また、レンタルできる自転車の種類もいくつかあり、中にはロードタイプ(ロード競技用の自転車)もあります。

このロードタイプの自転車、普通の自転車とは全くの別物。

スピードだけを追求して作られており、下りを走るときの時速はなんと80キロ以上とか!

ゾッとするような速さですが、実際に体験してみたい方は是非こちらをレンタルされてはいかがでしょうか。

 

走れるコースも競技用の本格的なものから、お子様でも気軽に参加できるようなファミリーサーキットなど様々。

遊園地としてのアトラクションも豊富に取り揃えている為、ご家族で楽しむのにもピッタリです!

これから夏に向けてどんどん暑くなってくるので、サイクリングには今の時期がもってこいではないでしょうか。

伊豆へお出掛けの際には、是非「サイクルスポーツセンター」で、普段なかなかできないような体験をされて

みてはいかがでしょうか。

※日本サイクルスポーツセンター公式HPはコチラ

 

フロント 市川

 

つつじ祭りの季節です!

温かい日和になって参りましたね。

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

遊季亭の入口正面のツツジが鮮やかに咲いたので、

写真と共にご紹介いたします!

 

遊季亭の看板を入ったところに..

 

見事なツツジが咲きました!
※2016年4月17日撮影


つつじといえば、遊季亭からお車で20分ほどの小室山公園にて

もうすぐつつじ祭りが開催されます!

 

今年は開花が早く、もうすでに見頃といえるほど綺麗に咲いているつつじも見受けられるみたいですよ。

今年も大変混雑することが予想されますので、

少し早起きをしてゆっくりと小室山まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?

 

小室山公園つつじ祭り

開催時間:毎年4月29日~5月5日 午前9:00~午後4:00
開催場所:小室山公園つつじ園
交通アクセス;
・JR伊東駅より小室山リフト行き(約25分)
・JR川奈駅より徒歩約20分


第45回 つつじ祭り開催東海バスオフィシャルサイト


つつじ祭り開花状況はコチラ!

フロント 杉本

日蓮上人史跡②

今回も、日蓮上人ゆかりのお寺「蓮着寺」をご紹介します。

読んで字のごとく「日蓮が着いた寺」。伊東へ流罪となった上人が取り残された海上の「俎岩」から500メートル程離れたところに建立されました。

後に当地を治めていた小田原北条氏の今村若狭が日蓮のゆかりにちなんで祖師堂を建て、付近の土地を寄進したのが始まりです。1508年に正乗院日云が蓮着寺として開山しました。

約21万坪の広大な敷地には、国の天然記念物に指定されている日本最大のヤマモモ「蓮着寺のヤマモモ」や、モチノキの大木の幹にどうしたわけかゴツゴツとした岩が喰いこんだ「石喰いモチノキ」、また「千歳の椿」をはじめとする藪椿の群生など、珍しい銘木を見物に訪れる人も少なくありません。

法華経の宗祖日蓮上人は流罪となり、すんでのところを川奈の漁師弥三郎に命を救われました。命があったからこそ、伊東が上人のゆかりの地となり、貴重な史跡が残されたのです。漁師の弥三郎は陰ながら歴史上の功労者と言えるのではないでしょうか。

フロント 江藤

 

日蓮上人史跡

また一つ伊東の重要な史跡をご紹介します。

伊東には日蓮上人にまつわる史跡がいくつかあります。

日蓮宗の開祖、日蓮は1261年、鎌倉幕府への批判をとがめられ、伊豆へ流罪となりました。これがいわゆる「三大法難」の一つ「伊豆法難」です。

現在の蓮着寺の近くの海上の俎岩(まないたいわ)の上に置き去りにされたところ、小舟で通りかかった川奈の弥三郎という漁師に助けられました。

満潮時は波の下に沈んでしまうという俎岩、現在の写真を見ても、苛烈な刑であったことが伺えます。流罪というのは表向きで、実は幕府は日蓮上人を亡き者にしようと目論んでいたという説もあるそうです。

幕府に逆らった日蓮を擁護する事を村人から反対された弥三郎は、「川奈のお岩屋」に30日間を住まわせ、その後伊東に移しました。

それから約2年後、赦免となるまで伊東留まりました。そのような経緯から、伊東には上人ゆかりの史跡がみられるのです。

【写真左・俎岩 /右・お岩屋】

フロント 江藤

 

 



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