お客様から近くの見どころをよくお尋ねいただきます。
東海館、松川遊歩道、それから木下杢太郎記念館などをご案内しますが、今回は伊東遊季亭と伊東駅のちょうど中間程にある木下杢太郎記念館をご紹介致します。
恥ずかしながら、木下杢太郎という偉人をほとんど知らずにいました。
何となく、文学者であり、医学者であり、画家であり、とちょっと森鴎外のような感じかなという認識でしたが、、、。
医学の分野では現在の東大病院の教授を勤め、真菌の研究をはじめ、皮膚科学の分野で国際的な権威とされています。
文学の世界では与謝野晶子らと交流を持ち、北原白秋と並び称される耽美派の詩人として活躍、石川啄木らと刊行に携わり、当時の文壇の中心的な人物。
絵画は生涯に渡って最も好み、多くの油絵、水彩画などを残しました。
特に最晩年まで描いた植物の緻密な写生画は872枚にも及び、「百花譜」として人々に愛でられています。
記念館は杢太郎の生家、伊東最古の民家です。
「米惣」という商家で、文字通り米や塩を扱う裕福な実家でした。
中に入ると・・・
立派な梁の屋内。ガラスには一点の曇りも無く、古い家屋の隅々まで整美され、所せましと杢太郎の業績が展示されています。
茶室のような一角には大きな写真。ご尊顔を拝察。
一つ一つに重厚な見ごたえが。
生家ということで、当時の暮らしの息遣いが聞こえるようなリアルな空気感。
居間から厨へと続き、伊豆石でできた釜戸が。明治の暮らしぶりが伺える貴重な資料です。
右は杢太郎誕生の間。
小津安二郎などの日本映画を見てよく思うのですが、日本家屋の障子の桟などの格子模様は心を静めるリラクゼーション効果があるように感じます。
杢太郎は一芸に秀でているどころではなく、医学、文学、美術、それぞれの分野のいずれもが超一流、まさに「知と美の巨人」であったことに驚嘆します。
真菌の研究で1920年代にパリに滞在。その業績が讃えられ、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました。
1920年代と言えば、芸術のムーブメントが起こったエコールドパリの時代、自画像にはその影響が色濃く伺えます。
奥様、お美しいです。
代表作の一つ「百花譜」。精密な植物画は872枚にも及び、亡くなる直前も病の床で弟子が見舞いに持参した花の写生をしていました。
木下杢太郎という名前はペンネームで、その他にも竹下藪太郎、堀花村などたくさんのペンネームがありました。本名は太田正雄。
余談となりますが兄の太田圓三は、日本の鉄道史上最大の天才技師と呼ばれ、関東大震災後の鉄道の復興はこの人物無しでは為しえなかったそうです。
その他文学者、政治家など、多くの傑出した人物を輩出した太田家は、伊東のみならず全国においても稀有な家でした。
木下杢太郎記念館の良い所は何といっても、生家を記念館にした事でしょう。杢太郎や当時の家人の息遣いが感じられる空気感でイメージが何倍にも喚起され、独特な唯一無二の空間となっています。
この様な貴重な記念館の入館料がなんと100円。なにか申し訳ないような気持ちになります。ずっと大切に保存していただきたいと切に感じました。
一時間程かけて見学しましたが、まだ見切れず、また行きたいと思っています。
皆様もどうぞお立ち寄りくださいませ。
フロント 江藤
木下杢太郎記念館
伊東市湯川2-11-5 TEL0557-36-7454
営業時間 9時~16時30分
入館料 大人100円 小人50円
休館日 月曜日(月曜日が祭日の場合は火曜日)