伊東温泉と北里柴三郎
新元号「令和」に続いて新しい紙幣の肖像画が発表されました。
新千円札の顔となる北里柴三郎博士。
「日本の細菌学の父」と呼ばれ医学に多大なる足跡を遺した偉人は、
伊東と深い関わりを持っています。
北里別荘跡地の幼稚園
新鮮な海の幸に恵まれ、効能豊かな温泉が湧き出る有数の地、伊東に惚れ込んだ柴三郎は、三千坪の敷地に贅を尽くした別荘を建築します。
純日本式破風造りの様式、広大な庭園には種々の庭木、巨岩名石を配し泉水をあしらいました。
特筆すべきは畳百畳分もの日本初の”室内大温泉プール”を併建し、”温泉療法”を実践。「北里の千人風呂」とも呼ばれ、医学者はもとより、政治家、実業家、皇族などが訪れ一般にも開放されていたそうです。
伊東行きがままならない時は温泉水だけを運ばせたほどの大の”伊東温泉贔屓”であったといいます。

(写真:伊東駅周辺)
この北里別荘にならって別荘建築が盛んになり、伊東は次第に賑わいを見せていきました。
伊東に最初に別荘を建てた、いわば「伊東の祖」といえましょう。
熱海から伊東間の鉄道の必要を強く説き、また私財を投じて子供達が安全に通学できるように松川に”通学橋”を架けるなど、地域にはかりしれぬほど大きく貢献した人物です。

(写真:通学橋)
別荘は2001年に取り壊され、現在では「野間自由幼稚園」として安藤忠雄設計による園舎が建っています。
広大な庭園は当時の面影を残したまま維持され、ちょうど幣伊東遊季亭から四季折々の美しい景観を見渡す事ができます。

(写真・野間自由幼稚園)
福沢諭吉と野口英世との関わり
実は、現在のお札の顔でおなじみの福沢諭吉と野口英世は、柴三郎と深い関わりがあるのです。
諭吉が創設した慶應義塾大学、その中に医学部を創設したのが柴三郎であり、さらに1892年に設立された日本初の伝染病研究所は、諭吉が柴三郎の研究にかける熱意に感動し建設したものです。
そして、その研究所に助手として入った野口英世は、柴三郎から学んだ多くの経験を生かし、同様に医学界にかけがえのない功績を遺しました。
ちなみに柴三郎は英世ら門下生から「ドンネル先生(雷おやじ)」と呼ばれていたそうです。

(写真:東海館)
伊東という土地が豊かな自然の恵み溢れる日本有数の地であることを、柴三郎によってあらためて知らされた気がします。
伊東を愛し、偉大な業績を遺した先人の偉業を忘れずに、その思いを連綿と受け継ぎ、美しさを損なわず維持、発展に努めていくことが大切だと感じました。
フロント 江藤